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【学校では教えない】自由の国”アメリカ”の負の歴史とは?

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歴史

インディアンへの虐殺

映画『ソルジャー・ブルー』を歴史する : 『私の歴史夜話』

サンドクリークの虐殺
1864年11月29日にアメリカのコロラド地方で、米軍が無抵抗のシャイアン族とアラパホー族インディアンの村に対して行った、無差別虐殺。

白人の大集会が開かれ、有志の寄付によって「インディアンの頭の皮の買い取り資金」として5000ドルが集まった。「耳まで付いている頭の皮」なら、25ドルの高額な賞金が設定された

やつら(インディアン)は、この地上から消し去るべき、自堕落で、宿無し同然で、残忍で恩知らずな人種である。

インディアンに同情する奴は糞だ!… 私はインディアンを殺さなければならない。そして神の天国のもとではどのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる。

小さいのも大きいのも、すべて殺して頭の皮を剥ぐべきです。卵はシラミになりますから。

数少ない男たちは、全くの丸腰だった。女たちは自分たちと子供たちを隠すために、死に物狂いで土手の砂を爪で引っ掻いて穴を掘っていた。私はインディアンたちを保護しようと、そちらに近付いて行った。
土手の陰に、5人のインディアンの女たちが隠れていた。軍隊が近づいてくると、彼女らは走り出て、自分たちが女であることを知らせようとしたが、兵隊たちは彼女らを撃ち殺してしまった。 3~40人の女子供が穴に隠れていたが、女たちは6歳くらいの女児に白旗を持たせて送りだした。この女の子が2、3歩足を踏み出したか踏み出さないかのうちに、彼女も射殺されてしまった。穴の外に4、5人女がいて、慌てて走り出した。彼女らは全く抵抗の気配を見せなかった。殺されたインディアンたちのすべてが、米兵によって頭の皮を剥がれていた。
一人の女は腹を斬り裂かれて、胎児を引きずり出され、その胎児は脇に転がっていた。これはスーレ大尉も事実であると私に証言している。私は何人か、武装した幼い子供が母親と一緒に射殺されるのを見た。「戦い」のすぐ後に、私は地面を調べてみた。

私は、死んだインディアンの数を400~500人だったと判断しなければならない[2]。ほとんどすべて、男も女も子供たちも、頭の皮を剥がれていた。私は、不具にされた1人の女性に会った。どの体も恐ろしく切り裂かれており、頭蓋骨が叩き割られていた[3]。私は彼らが射殺された後、このようにされたものと判断している。指輪を取るために、指が鋸で切り取られており、また男だけでなく女も、いくつかの体が兵士によってのこぎりで切断されていた。次の朝、私は男の子がインディアンの死体の間でまだ生きているのを見た。私は、第3連隊の少佐がピストルを取り出して、この男の子の頭を吹き飛ばすのを見た。私は、一部の男たちが指輪を奪うために死体の指を切り落とし、銀の装飾品を奪うために、死体の耳を切り落しているのを見た。

私は、先ほどの少佐と仲間たちが、夜の間にインディアンたちの頭の皮を剥いで、埋葬された死体を掘り起こして装飾品を奪うのを見た。私はインディアンの女が、殺される前に頭を打ち砕かれるのを見た。次の朝、彼らが死んで固くなったあとで、この男たちはインディアン女の体を引っぱり出して、不作法に足を開いていた。私は男たちが「女たちの女性器を切り取ったが、自分では見なかった」と言っているのを聞いた。
私は、何人かの男たちが、殺したインディアン女から女性器を剥ぎとったあとに棒を突っ込んだことに抗議した。女・子供の死体は、見るもおぞましい方法[4]で切断された。私は、わずか8人しか見ていない、それ以上はとても正視に堪えなかった。彼らは、とてつもなく切り刻まれていた。…彼らは頭の皮を剥がれて、むごいやりかた…で切り裂かれていた。ホワイトアンテロープ酋長の死体は、鼻、耳、男性器を切り取られて転がっていた。一人の兵士が、「この酋長の陰嚢で煙草入れを作るのだ」と言っていた。女たちは女性器をえぐり取られていた。

ありとあらゆる略奪が、彼らの身体に加えられた[5]。彼らは頭の皮を剥がれた、彼らの頭は打ち砕かれていた。男たちはナイフを使って女性を切り開き、小さな子供たちは、銃尻で頭を潰されて脳味噌を飛び散らせていた …彼らの体を損壊したやりかたは、どんな言葉でも言い尽せない。それはこれまで見たこともないものだった。女は全員、バラバラに切断されていた… まだ生まれて2、3ヵ月の乳飲み子から戦士まで、すべての世代がそこに転がっていた。
兵士たちは指輪を奪うために指を切断し、子どもも合わせた男性の陰嚢は「小物入れにするため」切り取られた。男性器と合わせ、女性の女性器も「記念品として」切り取られ[6]、騎兵隊員たちはそれを帽子の上に乗せて意気揚々とデンバーへ戻った。私は1人の兵士がインディアンの女の心臓を抜き取ったと言っているのを聞いたが、彼はそれを棒に貼り付けていた。

Sand Creek Massacre National Historic Site – Sand Creek Massacre National Historic Site

奴隷制度

奴隷制度には3つのタイプがあるが、15世紀から始まったアフリカ黒人奴隷制度は、地球をまたにかけ、奴隷の数も桁違いだった。この奴隷制度は、19世紀にアメリカ南部の産業をささえたが、それがもとで暗部と北部は対立し、南北戦争にまで発展した。翌年、1862年9月、アメリカ合衆国大統領リンカーンは「奴隷解放宣言」を行ったが、解放された奴隷はわずかだった。

黒人奴隷の中には、自由を得る者もいたが、長続きはしなかった。奴隷商人が解放された黒人の一家を襲い、再び奴隷として売り飛ばしたからである。

苦心惨憺、勝ち得た自由の身から、再び奴隷の身へ。これ以上の、落胆、苦しみはないだろう。まるで、ギリシャ神話の「シシュポスの呪い」である。

 神ゼウスの怒りに触れたシシュポスは、罰として重い苦役が課せられた。大きな石を山のふもとから山頂まで運ぶのだが、悪魔のような仕掛けが隠されていた。シシュポスが石を山頂まで運んだ瞬間、石は元の場所まで転がり落ちる。そこで、もう一度、山頂まで石を運ぶが、また石は転がり落ちる。気が狂うほどのこの繰り返し作業を、世界が終わる日まで続けるのである。

アンクル・トムの小屋 – Wikipedia

ハワイ王国の侵略と滅亡

ハワイ王国(ハワイおうこく、ハワイ語: Aupuni Mōʻī o Hawaiʻi、英語: Kingdom of Hawaiʻi)は1795年から1893年までハワイ諸島に存在した王国

1993年11月、アメリカ合衆国議会はハワイ併合に至る過程が違法だったと認め、公式に謝罪する両院合同決議

日本本土への空襲(民間人への無差別爆撃)

アメリカ軍による民間人への無差別爆撃は明らかに戦時国際法違反

日本本土空襲 – Wikipedia

日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)期、連合国軍、事実上はアメリカ軍が日本各都市に対して行った空襲、戦略爆撃である。アメリカ軍による攻撃は、特に1944年(昭和19年)末頃から熾烈となり、最終的には無差別爆撃(絨毯爆撃)として行われた。
攻撃は、B29に代表される攻撃機による爆撃のみならず、機動部隊艦載機や硫黄島などから飛来する単発機による爆撃や機銃掃射というかたちでも行われた。また、航空戦力によってだけではなく、沿岸部の都市では艦砲射撃によっても攻撃されたところもある。
空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死者は33万人、負傷者は43万人、被災人口は970万人に及んだ[1]。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した[1]。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失しており、一説[要出典]には空襲により9割以上が焼失したとも言われている。

広島市への原子爆弾投下(民間人への人体実験)

実戦で使われた世界最初の核兵器
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされる

▼外部リンク 出典元

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