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真田幸村だけじゃない!島左近に、片桐且元。最近見つかった戦国武将の書状がスゴイ!

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大河ドラマ「真田丸」で話題になっている真田信繁(幸村)

その信繁の、自筆書状が見つかった!

戦国時代後期の武将・真田信繁(幸村として知られる)の自筆書状原本が発見されたことが24日わかった。

今月に入り、NHK大河ドラマ『真田丸』の時代考証を担当している丸島和洋氏(国文学研究資料館特定研究員・慶應義塾大学非常勤講師)の著書『真田信繁の書状を読む』(9月22日発売 星海社新書)掲載の写を見た三重県の個人収集家が、古書店で原本と考えられるものを発見し、掲載されている写と見比べた上で購入。その後、丸島氏が鑑定を行った結果、自筆原本であることが確認されたという。

九度山で書かれたものらしい

書状は義理の兄の小山田茂誠に宛てられ、書かれた時期は特定できませんが、故郷に住む人たちに会いたいという内容が記されています。

また、「去年から急に老け込んでことのほか病気がちになり、歯も抜けてしまい、ひげも黒いところがなくなってしまいました」と自身の老いた姿を嘆く様子もつづられています。

大正3年から行方がわからなくなっていた書状

この書状は、写本が東京大学史料編纂所に残されていて、原本は大正3年(1914年)に所在が確認されていますが、その後、行方がわからなくなっていました。

信繁の当時の生活を知ることができる?

丸島さんは「写本ではわからない信繁の力強い筆遣いなどから、当時の信繁の生活の様子を知ることができる。病気がちと書いているが、字は弱っている人の字には見えない」と話しています。

丸島さんは「写しでは筆の勢いや墨の濃淡までは分からない。書状は信繁自筆とみられていたが、原本の発見でより確実になった」と言う。

丸島さんは「書状には、このまま九度山で一生を終えるのではないか、それだけは嫌だという気持ちがにじみ出ている。信繁が変装しているシーンが放送されたときに原本が発見されたという連絡を受け、とても縁を感じています」と話しています。

実は他にもあった!最近見つかった書状!

■片桐且元が西本願寺へ宛てた書状(1614年)

大坂冬の陣(1614年)で徳川方の武将片桐且元(1556~1615年)が、和議前日に「近く成立する」と状況を記した書状が見つかったと、本願寺史料研究所が30日、発表した。

書状は慶長19(1614)年12月18日付で、西本願寺第12代宗主の准如に直接宛てたもの。18日は和議交渉開始当日で、且元は大坂城砲撃を指揮していた。

且元は大坂(豊臣)方がいろいろ謝罪を伝えてきていて、近く和議が成立する見込みだと報告。視察に訪れた徳川秀忠が上機嫌だったと、戦場の様子を詳しく伝えている。和議は翌日成立した。

「和議前日の状況が確認できる古文書は非常に珍しい。当初から且元は和議成立を見越しており、徳川方が強気で交渉していたことが分かる」

▼外部リンク 出典元

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