歴史
ナチスの環境法制は、「木や動物の権利」を認めていた。
1933年の政権獲得後、ナチス・ドイツは次々と動物保護、自然保護に関する立法を実現していきました。
ナチスドイツの環境法制は、「木や動物の権利」が認められていたという点で従来の人間中心の環境保護とは一線を画すものでした。
ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めたヘルマン・ゲーリングは、1934年7月3日に森林長官、狩猟長官に就任しました。
彼はこの役職に熱心に取り組み、乱獲や密猟で減っていたドイツの狩猟場の動物たちの保護と補充に努めます。
ナチスドイツのドイツの警察権力を掌握したハインリヒ・ヒムラーも、自然愛護主義者でした。徹底的な菜食主義者であり、動物を食しませんでした。
狩猟愛好家であったゲーリングに対して、以下のように愚痴をこぼした記録が残されています。
「ゲーリング、あの血に飢えた犬の畜生は動物と見れば手当たり次第に殺している。何も知らずに森の端で草を食む、何の罪もない動物を撃ち殺すのがなぜ楽しいのか。それは正真正銘の虐殺だ」
「あんな可愛い目をした鹿を撃ち殺すなんて彼は残酷だ」
ナチスの動物保護の考え方
木や動物に権利を与え、原則として人間と同等に扱う。
人間のために動植物を保護するのではなく、動物や樹木のために保護すべきという立ち位置をとる。
動物保護に関するナチスの評価は、人間中心の構図の拒否- 動物は人間の利益のためではなく、「動物それ自体のために保護すべきとする考え方」 で明快です。
現在でもドイツの民法では、「動物は物ではない」ということが明記されています。これは、日本の法律が動物をモノとして扱っていることとしばしば比較されます。
動物の屠殺に関する法律 1933年
不必要な興奮や苦痛を与えないように気絶させるべき
屠殺するときは麻酔してから行うことを義務づけ、結果的に、宗教的な屠殺方法をやめず法律を無視し続けたユダヤ人の逮捕が相次ぎました。
動物保護法 1933年 Reichstierschutzgesetz
動物の使用について多くの禁止事項を設けました。映画撮影や出版、公衆行事のために、動物を苦しませること、鶏への強制給餌や、カエルの脚を切るなどといったことも禁止され、生体実験が制限されました。
生体解剖を禁止する法律は、しばしばユダヤ人の科学者が起訴される理由になりました。
動物保護法には人間に関する条項もあり、動物とほぼ同じ扱いになっている。
動物を苦しめた者は最高懲役3年以下の刑とする
帝国森林荒廃防止法 1934年
ドイツ民族の自然観にとって森林は重要な構成要素であると考えました。若木の伐採を禁止し、木材生産のための私有林を保護しました。
また、種類ごとの保護をはじめました。
国家狩猟法 1934年
割り当て以上の獲物を撃った者には厳しい罰則が与えられた。
動物の苦痛を取り除くため、負傷した動物には必ず止めをさすことを義務付けた。また鋼鉄の罠や毒物を使用するような残虐な狩猟や夜間照明を使用した狩猟は禁止された。
1934年7月3日にゲーリングが制定させた「ドイツ国狩猟法」は、狩猟に関する規制や動物保護や繁殖を目的とした内容の優れた法令で、現在もドイツ連邦共和国に存続している。
狩猟は政府の厳重な許可が必要となり、狩猟をおこなう者は銃の取り扱い試験が義務付けられ、狩猟犬も訓練を受けた犬に限定された。
密猟に対する罰則も強化した。狩猟長官執務室には「動物を虐待する者は、ドイツ国民の感情を傷つける。」という標語が掲げられていたそうだ。
国家自然保護法 1935年
自然保護官庁などの監督機関が設けられ、計画制度への参加が行われた。
ドイツの大都市の周囲に大規模な植林計画を実施し、グリーン・ベルトを設けさせた。この地帯は動物たちの聖域となり、また労働者の憩いの場となった。ゲーリングが森林長官・狩猟長官に就任した後、数年にしてドイツの森林は世界中から自然保護の見本と呼ばれるまでになった。
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▼外部リンク 出典元
「動物は、人間のためではなく、それ自体のために保護すべき」 ナチスの動物保護の考え方