歴史
博士との再会を果たせたハチ公
ハチ公と、飼い主の上野英三郎博士のブロンズ像(高さ約1.9メートル)は、ハチ公の死後80年の3月8日に東大農学部(東京都文京区)の敷地内に建てられた
東京大学に3月に設置されたハチ公像の「影」が、話題になっている
夜にライトアップされると、ハチ公がうれしそうに飼い主とはしゃぐ姿が浮かび上がり、ネット上では「リアルすぎる」「泣ける」と評判になっている
80年の時を経てやっと再会!
渋谷駅の象徴、忠犬ハチ公。主人である博士が亡くなったことを知らず、毎日渋谷駅に迎えに行っていたというストーリーはあまりに有名です。そのハチ公が亡くなって80年が経つ今年、ついにご主人様が帰ってきます。
東大農学部キャンパスの正門に設置されます。2015年3月8日の13時から除幕式が行われます。
有名な待ち合わせ場所:ハチ公
渋谷での待ち合わせでよく使われる、ハチ公前集合!
知っていましたか?このハチ公、実は2代目!
忠犬ハチ公
左耳が垂れているのは生まれつきではなく野犬に噛まれた後遺症だと言われている。
ハチは、人間や仔犬に対しては決して牙を向けたり吠えたりしませんでしたが、一度だけ、ほかの犬に咬みつかれたことがあり、それ以降左耳が垂れてしまいました。
大正14年(1925年)ハチと博士の間にあまりにも突然すぎる悲しい出来事が起こります。5月21日、いつものようにハチに送られ出勤した博士は大学の教授会で、脳溢血で倒れ急死したのです。ハチの悲しみは深く、与えられた食事も口にできないほどで、その状態はしばらく続いたといわれます。
日本犬保存会を組織している斉藤さんは、ハチが農学部まで上野博士を迎えに来ているのを時々みかけて大変立派ないい秋田犬だと思い、覚えていました。のちに渋谷で再会したときのハチは、野犬捕獲人につかまったり、小荷物室に入ったため駅員にひっぱたかれたり、顔に墨くろぐろといたずらされたり、夜の露店の親父にお客の邪魔と追われたり、あわれでした。斉藤さんは、なんとかハチの悲しい事情を人々に知らせて、もっといたわって貰いたいと考え、朝日新聞に寄稿したところその記事が大きく取り扱われました。
記者が片耳の垂れたハチを見て雑種と報道したので、幾度もこれを訂正させたのがまたいっそう宣伝効果を上げ、そして駅員や売店の人まで急に可愛がるようになりました。この頃からハチに公の字をつけて呼ばれるようになり、またいつの間にか忠犬と冠されるようになってしまいました。
初代・ハチ公像
安藤照によって作られた初代・ハチ公像
ハチの人気は一層高まり、駅の近所にはハチ公せんべい、ハチ公チョコレートを売り出す店が出るかと思うと、秋田県の大館ではハチ公こそ自分の家で産まれたのだという親元争いまで始まるようになりました。
中でも一番始末の悪かったのは、上野家からハチに関したいっさいを依託されたと自称する老人が現れ、美術院同人の大内青圃氏にハチ公の木像を作ってもらって駅の改札口に飾る、その資金を集めるためと称して木版画の絵はがきを作り、吉川駅長に署名させて売り出し始めました。
収拾のつかなくなった木像騒ぎに彫塑家の安藤照さんは困って、何とか早く自分の銅像を、というわけで生前に銅像ができあがったわけです。
鹿児島市の西郷隆盛像を作ったことでも有名である。
5月10日には、銅像作者である帝展審査委員安藤照氏の手による鋳造「忠犬ハチ公臥像」が天皇、皇后両陛下にも献上されています。生前に銅像が造られ、しかも塑像が宮中に供されるというのは、人を含めても前代未聞のことだったでしょう。
取り壊されたハチ公像
再建された2代目・ハチ公像
再建は1948年のことで、除幕には当時日本の占領政策を担っていたGHQの高官も参加しています
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80年の時を経ての再会を喜びはしゃぐハチ公の影が泣けると話題に #ハチ公像の歴史