歴史
モンテーニュとは
Michel Eyquem de Montaigne(1533年2月28日 – 1592年9月13日)
16世紀、ルネサンス期のフランスの哲学者。主著『エセー』。モラリスト。
フランス、ペリゴール地方とボルドー市の間にあるモンテーニュ城で生まれた。
本来の館はこのモンテーニュの塔を残して焼失してしまった。
Château de Montaigne
現在では別の貴族の城が建てられている。
ボルドーはワインの生産地。のどかなぶどう畑が並ぶ。
父はワイン貿易商の貴族、母はユダヤ系だった。
ミシェルは2歳から6歳まで、家庭教師のもとで”ラテン語のみ”を用いて英才教育を受けた。
わずか6歳で一流のギュイエンヌ校に入学し、13歳で卒業した。
その後、トゥールーズの大学で法学を勉強し、裁判所に務めた後、24歳の時にボルドー高等法院の裁判官となった。
Bordeaux
quartier Saint-Pierre
かつて、ボルドー高等法院のあった場所。
しかし、ミシェルは裁判官の仕事に情熱を燃やすことはなかった。後に主著『エセー』の中でこう述べている。
私は、裁判官が罪びとをだましたり、好意や赦免の望みで釣ったりして、泥を吐かせ、欺瞞と破廉恥を用いるのを見て、しばしば憤慨したことがある。
彼が29歳の時、1562年、フランスで宗教戦争が起こった。ユグノー戦争である。カトリック教徒とプロテスタント教徒が互いに憎しみ合い、殺し合った。
そして、32歳の時に結婚し、6人の子どもを設けた。しかし、成人したのは1人だけだった。
その後、35歳の時に父親が亡くなった。ミシェルはモンテーニュ城を相続し、故郷に帰って、塔の三階の書斎にこもって読書にふけるようになった。
当時は、このように大きな本棚が置かれていたという。
▼外部リンク 出典元