歴史
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東アフリカに位置する小さな内陸国ルワンダ共和国。「千の丘の国」とも呼ばれるこの緑豊かな美しい国は、近年ではその著しい経済成長から「アフリカの奇跡」とも呼ばれている。今日のルワンダだけを知っている人であれば、たったの22年前に80万人が虐殺された地だとは感じられないだろう。
ルワンダの人口は800万ほどで、3つの部族によって構成されている。まず、フツ族が85パーセントとこの国の大部分を占め、次いで、ツチ族が14パーセント、残りは1パーセントのトウク族である。このトウク族は狩猟を主とする部族で、通常ピグミーの名前で知られている部族である。
悲劇の始まり
1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。
正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。
ジェノサイド
元々アルメニア人虐殺やナチス・ドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)に対して使われていたことから、一般的には「大量虐殺」の意味で使われる
一人は斧で、一人は鉈で、一人は銃で。夫が妻を殺し、妻が夫を殺した。隣人が隣人を殺し、また隣人が隣人を殺した。
虐殺の跡地には、犠牲となった人々が当時着ていた衣服が残されている。虐殺を主導したフツ族過激派は、ツチ族を「根絶」するために女性や子供を好んで狙った。生後間もない赤ちゃんも虐殺された。
しかもただ命を奪うだけでなく、手足を切れ味の悪い刃物で切り落とすなどした上で殺害したり、女性に関しては性的暴行を加えた上で殺害が行われた。さらには幼い子供までもが大人と変わらずに殺害されていたという。恐ろしいのは、これが戦争ではないという事。
虐殺に際しては、マチェーテや鍬といった身近な道具だけではなく、AK-47や手榴弾といった銃火器もジェノサイドに使用された。ルワンダ政府の公式統計と調査によれば、ルワンダ虐殺の犠牲者の37.9%はマチェーテで殺されたという。
一夜で4万5千人が殺害された学校
“丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる”という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、避難していたツチ族約45000人が過激派民兵に殺害された。
大虐殺終結宣言
海外の報道員にはジェノサイドが行われていることがすぐには分からず、当初の頃は内戦の激変期として説明されていた。そんな中でBBCニュースのキガリ特派員であったマーク・ドイルは、1994年4月下旬点でこの入り組んだ事態の説明を行おうと試み、以下のような報道を行った。ここで2つの戦争が行われていると解釈して頂かなくてはなりません。それは武力戦争とジェノサイド戦争です。この2つは関連しておりますが、一方で別個のものでもあります。武力戦争は通常通りの軍隊同士によるもので、ジェノサイド戦争は政府軍と政権を支持する市民の側に立った政府に関係する大量虐殺です
ルワンダ愛国戦線は1994年7月4日に首都キガリおよびブタレを制圧し、同月16日には政府軍の最終拠点であったルヘンゲリを制圧、その二日後の18日にカガメ司令官が戦争終結宣言を行った。これはハビャリマナ大統領の暗殺からおよそ100日後のことであった。
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