歴史
私たちは、今、パレスチナにおいて土地と財産を奪われてきた人々の歴史を目の当たりにしている。
しかし、ごく最近でも、「民主主義的」といわれる近代国家、アメリカ合衆国で同様の反政府運動が存在したことはあまり知られてはいない。
歴史的経緯
1622年から1890年の間、アメリカ合衆国はインディアン戦争を展開。圧倒的な武力の元で、侵略し、征服した。
「インディアンは滅ぼされるべき劣等民族である」と演説し、クリーク戦争のホースシュー・ベンドの戦いに勝って、インディアン強制移住の推進者になった。
「インディアン移住法」とは、「インディアンを白人のいない西部のインディアン準州(現オクラホマ州)に強制移住させ、連邦政府が信託保留 (reserve) した土地 (Reservation) に住まわせ、そこで白人の社会システムを構築し、白人社会に同化させる」という民族浄化政策である。「これに従わない場合、そのインディアン部族は絶滅させる」とジャクソンは宣言した。多くのインディアン移住条約が武力を背景に結ばれた。インディアンの大半は渋々ながら移住条約の条件に従った
第3代アメリカ合衆国大統領ジェファーソンが19世紀に始めたインディアン部族との連邦条約交渉は、インディアンに合衆国内務省が権利を保留する「保留地」を領土として「与え」、その管理を内務省BIA(インディアン管理局)に任せることによって、領土と引き換えにインディアンたちに食料や物資などの「年金」を支給し、彼らの生活を保障して自活を援助するというものだった。
拉致監禁と収容所
1838年にアメリカ合衆国のチェロキー族インディアンを、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動させたときのことをいう。このとき、15,000名いたチェロキー族のうちおよそ4,000名が途上で亡くなった。
19世紀末には合衆国は、インディアン部族の移動の自由を奪い、インディアンの保留地を巨大な収容所へと変えた。
議会制のおしつけ
1934年に、合衆国は「インディアン再編成法」を施行し、各インディアン保留地に、議会制に基づく「部族会議」の設立を義務付けた。
欧米や日本で一般的な「議会制」は、インディアンの合議制よりもはるかに民主的でないシステムだ。もともとインディアンの社会は、長老や酋長が合議によって方針を決める合議制社会だった。白人の押し付けてきた制度は、ただインディアンの部族の合議による自治を破壊し、買収の可能な政府を作らせることを目的としていた。
一部の人物を囲い込んで「議会」を作らせようとする白人は、一部の酋長をまつりあげて議会をつくらせようとした。
保留地はこうして作られた「部族会議派」と、合議制に基づく伝統的共同体「伝統派」に二分された。
「部族会議」は合衆国の傀儡となり、「伝統派」はこれに反発、インディアンが人為的に分裂させられる中、生活の糧を奪われたままのインディアンは、貧困の渦に引き込まれていった。
「合法的」に奪われていったインディアンの権利
民主主義の名の下に、多数決で法律を作る開拓民達、インディアンの生活をただ無視するだけで、合法的に彼らの生活を奪っていくことができた。
1956年 インディアン移住法
保留地制度に基づく強制移住に従わないインディアン部族は絶滅させる
保留地から都市部へインディアンを放逐させるものであり、この法によって多くのインディアン部族はその共同体を破壊された。限界集落化されたインディアン部族に対し、合衆国は連邦条約で保証した権利一切を剥奪して、領土である保留地の保留を解消し、これを没収した。1960年代には、多くのインディアンたちが都市部のスラムに追いやられ、路頭に迷っていた。
連邦政府の「絶滅」認定で、多くのインディアンたちが条約権利一切を剥奪されたうえ保留地の保留を解消されてその領土を「没収」された。
「契約」「条約」が実効力のないものと決めつけられていった。
全米インディアン若者会議
「全米インディアン若者会議」(NIYC)は、アメリカインディアンの権利団体として、15000人を擁し、いかのような要求を行っている。
破られた条約のための行進
1968年にミネソタ州ミネアポリスで結成されて以来、全米に支部を置き、多数のインディアン権利団体と連携する全米最大のインディアン組織である。
1960年代、100を超えるインディアン部族が連邦条約を打ち切られ、「絶滅」を宣言されるとともに、合衆国政府は絶滅を根拠として原住民との間の「条約」を一方的に打ち切っていった。路頭に迷うことになったインディアンは、ささいな理由で刑務所に送られた。ミネソタ州の刑務所の囚人の7割は常にインディアンが占めていたのである。「AIM」は、こうした刑務所暮らしを強いられた若いインディアンたちによって起こされた。
インディアンは赤いBIA(インディアン管理局),お前は何色だ?
1970年代に入っても、インディアンは合衆国政府に、破られた約束の履行を求め続けた。
関連するまとめ
▼外部リンク 出典元
破られた条約のための行進、アメリカにおけるインディアンの権利要求運動