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想像以上!ものすごく音痴なソプラノ歌手の歌声が逆にすごい

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歴史

フローレンス・フォスター・ジェンキンス

Florence Foster Jenkins
1868年7月19日 – 1944年11月26日

歌唱能力が完全に欠落していたことで有名

リズムはおろか音程もろくに取れず、発声もからきしダメ。

にもかかわらず人前で歌い続け、晩年には名門中の名門、カーネギー・ホールでリサイタルを成功させたという伝説の歌手

まずは歌声を聞いてみよう

曲はモーツァルトの「夜の女王のアリア」(歌劇『魔笛』より)、難曲中の難曲である。

フロレンス自身は、音痴なことを微塵も気にしていなかった

それどころか彼女は、自分の歌唱に絶大な自信をもっていた。この「夜の女王のアリア」にしても、当時、有名だったソプラノ歌手、フリーダ・ヘンペルの歌とひきくらべて、自分のほうがずっとすばらしいと思うと語ったという。

彼女のユニークな人生

不遇時代

1868年、ペンシルヴァニアの裕福な銀行家の娘として生まれた。金持ちの娘として幼い頃からピアノを習い、ゆくゆくはオペラ歌手になりたいという夢を抱いていたが、厳格で保守的な父はそれを許さなかった。のちに石油会社社長となった男性と駆け落ちするが、1902年に離婚してしまう。

転機

1909年に父親が亡くなるり、前夫からの相当額の慰謝料と、父親から受け継いだ莫大な遺産を手にして、有数の大金持ちになる。音楽団体へも多額の寄付をし、自ら設立した愛好家団体で地歩を固めた1912年、ついに念願の初リサイタルを開く。もちろん資金は自腹である。

出典nymag.com

非常に残念な歌の実力に加え、天使の羽まで付いた自前のキンキラ衣装や、聴衆に花を投げる大げさなパフォーマンスなど、そのどれもが「悪趣味だ!」とさんざんな酷評を受ける。

揺るぎない ”自信”

彼女は、自分が偉大な音楽家だと固く信じていた。自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込んでいた。

リサイタルは大盛況

音程や調性などものともしない自由で圧倒的な歌いっぷりに、観客はあっけにとられ、ついで魅入られ、しまいにはその毒のような魔力の虜になってしまった。

彼女自身の人間的魅力

フロレンスには周りの人びとを幸福な気分にさせずにはおかない天性の明るさがあった。博愛精神にもあふれ、若い芸術家の育成や、貧困者の救済などの慈善事業にも情熱を注いだ。

伝説のカーネギー・ホール公演

1944年、76歳のとき、ニューヨークの音楽の殿堂カーネギー・ホールを借り切って行われたリサイタル。チケットは何週間も前に売り切れ、公演は大成功。

カーネギー・ホール公演からわずか1カ月後、心臓麻痺でこの世を去った。

彼女の残したモノ

彼女の歌声は、今も販売されているCDやMP3で聴くことができる

人間の声の栄光????

1. 歌劇「魔笛」~夜の女王のアリア
2. 音楽の玉手箱
3. 鳥のように
4. 歌劇「ラクメ」~鐘の歌
5. セレナータ・メキシカーノ
6. 歌劇「ブラジルの真珠」~かわいい鳥
7. ビアッシー
8. 喜歌劇「こうもり」~候爵様,あなたのような方は
9. 歌劇「ファウスト」~ヴァレンティンのアリア
10. 歌劇「ファウスト」~宝石の歌
11. 歌劇「ファウスト」~清らかな住まい
12. 歌劇「ファウスト」~フィナーレの三重唱

「フロレンス・フォスター・ジェンキンスほど仕事にたぐい稀な幸福を見出したアーティストはめったにいない。その幸福感はまるで魔法のように聴く者たちの心へと伝染していった」

新聞に載った彼女の追悼記事。フロレンスは音程や調性といった窮屈な束縛から、人間の声を自由に解き放った。そこには、なにものにもとらわれない圧倒的な自由と幸福感があった。

「皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ」

▼外部リンク 出典元

想像以上!ものすごく音痴なソプラノ歌手の歌声が逆にすごい



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