歴史
■昭和30年(1955年)
生まれたばかりの乳児の口に入る粉ミルクに猛毒のヒ素(砒素)を混入。
高度成長への入り口で起こった悲劇。
人類史上最大最悪の乳幼児大量毒殺事件。←猛毒のヒ素が混入されたMF印粉ミルク缶の実物(資料館所蔵)
これまで使用されてきた一円黄銅貨が1953年(昭和28年)を以て廃止されたため、一円の貨幣は紙幣のみとなった。しかし、1955年に一円硬貨が発行されることとなり、前年の1954年、この一円硬貨と(旧)五十円硬貨のデザインが戦後初めて一般公募された。40日間の公募期間で、一円硬貨だけで2,581点の応募があり、表の「若木」のデザインは当時京都府在住の中村雅美のものが、裏のデザインは当時大阪府在住の高島登二雄のものが、それぞれ選ばれた。大蔵省は受賞者に対し賞金7万5千円を贈る事にしていたが、上記のとおり受賞者が二人となったためそれぞれ半額の3万7千5百円を賞金として贈呈した。
カリフォルニア州ロサンゼルスの郊外アナハイム。ここに、元祖ディズニーランドリゾートがあります。ロサンゼルスのダウンタウンから車で約30分。ロサンゼルスを訪れるほとんどの人が、このディズニーランドリゾートでも遊んで行きます。
彼は1955年9月30日愛車のポルシェ550スパイダーで24歳の若さで事故死。
ポルシェは事故9日前に購入したばかりでした。
自殺との噂もあったが真実はわかりません。
ただ、事故当時彼の車は大したスピードは出ていなかったらしいです。彼の主演映画は、『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』
の3作品です。
1955年(昭和30年)石原は一橋大学在学中に『太陽の季節』で第1回「文学界新人賞」を受賞。同年12月にはかねてからの恋人であった石田由美子と結婚。そして翌年、『太陽の季節』で第34回「芥川賞」を受賞。
■昭和31年(1956年)
石原慎太郎原作の『太陽の季節』で慎太郎の弟・石原裕次郎が映画デビュー
慎太郎と裕次郎は共に180cm以上の長身で足も長くスポーツマン。裕次郎は慎太郎の二つ下ですが共に昭和一桁生まれ。この時代の方にしては日本人離れしたスタイルを持ち合わせていたのも、スターになるべく天が授けたものだと思います。裕次郎はこの『太陽の季節』の出演で映画人方の目に留まることになり、同年、慎太郎原作・脚本の『狂った果実』で本格的に主演し、昭和が生んだスター、石原裕次郎の映画人生が始まる。
若者のはじらいのない奔放なふるまいと心情を大宅壮一は「太陽族」と名づけました。
慎太郎のヘアスタイルが慎太郎刈りとして、これまた1つの風俗になりました。
怒れる若者の時代、まだ飢えの残る時代でしたが、若者たちは消費に対するあこがれがかなえられるだろうと感じとっていたのでしょう。
新宿コマ劇場(しんじゅくコマげきじょう)とは、東京都新宿区歌舞伎町一丁目にあり、1956年12月28日から2008年12月31日まで株式会社コマ・スタジアムによって運営されていた劇場である。「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演された。コマ劇や新コマとも言う。
映画館の「新宿コマ東宝」と「シアターアプル」(劇場としても使用される)を併設していた。
日本の国連加盟を国連総会の全会一致で承認。1933年の国際連盟脱退以来23年ぶりに国際社会に復帰
■昭和32年(1957年)
昭和基地
「宗谷」で東京を前年11月に出発した第1次南極観測隊は1月29日、南極大陸から4キロ離れたオングル島に上陸し、昭和基地を建設。
氷に閉じこめられていた南極観測船「宗谷」がソ連の砕氷船オビ号に救助される
南極に向かった「宗谷」はその強運ぶりを発揮します。どの国も接岸したことがないプリンスハラルド海岸に奇跡的に接岸に成功。第一次南極越冬隊を南極に残し、日本への帰路についた「宗谷」は厚い氷にはばまれ航行不可能になった際も、ソ連のオビ号が救援にかけつけ、なんとか氷の中から脱出したという話が残っています。
スプートニク2号は大気圏再突入が不可能な設計だったため、大気圏再突入の際に崩壊した。ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた、とされていた。
2002年10月、スプートニク2号の計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフは、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた、と論文で発表した。ライカに取り付けられたセンサーは、打ち上げ時に脈拍数が安静時の3倍にまで上昇したことを示した。この間、断熱材の一部損傷のため、船内の気温は摂氏15度から41度に上昇し、飛行開始のおよそ5~7時間後以降、ライカが生きている気配は送られてこなくなったという。
1957年(昭和32年)12月11日初めての100円硬貨が発行されたことに由来して、12月11日が「百円玉記念日」になっているのである。
それまでは、100円は紙幣として流通していたが硬貨として、100円を流通させることになった。
初めて登場した100円硬貨は、今のものとは素材とデザインが違い、素材は銀60%の銀貨で、表面のデザインは伝説の鳥「鳳凰」であった。
1957年 東海研究所設置、日本最初の原子炉JRR-1臨界
「おいらはドラマー、やくざなドラマー。。。」で始まる主題歌はあまりにも有名だ。
映画自体は稚拙な部分が目立ち、演技も今一つで荒削りであるが、初期の石原裕次郎から発せられるオーラは凄い。
彼の初期の代表作である「狂った果実」や「太陽の季節」はいずれも白黒であるが、この映画はカラー(総天然色)、いきなり映されるシーンは日劇横日比谷側から不二家や森永のキャラメルの広告塔をカラーで映す。白黒はあってもカラー映像は意外に少ないかもしれない。
日本初の女性週刊誌「週間女性」創刊
■昭和33年(1958年)
昭和33年(1958年)11月27日、宮内庁は、明仁親王と 正田美智子さん の婚約決定を発表しました。この日まで、宮内庁は、マスコミに対して、公表前に掲載しないよう強く要請したようです。
初の一万円券として発行され、高度経済成長の一端を担うこととなった。透かしは法隆寺夢殿。
東京タワー(とうきょうタワー、Tokyo Tower)は東京都港区芝公園4丁目にある集約電波塔である。1958年(昭和33年)10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。東京のシンボル・観光名所として知られる。正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)。
元々、黒人のゴスペルやブルースなんかを好んだエルヴィス。貧乏家庭で生まれ、トラックの運転手をしながら家計を支えていた。
54年18歳の時に、母ヘのプレゼントに自主制作レコードを作ったのが始まり。
そのレコードが関係者の目に止まり、ラジオで流されると、たちまち問い合わせの嵐!!
当然だ。エルヴィスが歌っているのだから・・・・・
だが1960年 エルヴィスは徴兵にロカビリーは消え失せる・・・・・
だが68年、再びエルヴィスは立ち上がり、ステージに帰って来た。
カムバックしたKING R&Rのステージは熱狂の渦を巻く。
第二次南極観測隊が悪天候の為、越冬を断念。タロ・ジロら樺太犬15頭を置き去りにして撤退
タロ・ジロを含む22頭の樺太犬は1956年に第1次南極観測隊隊員と共に南極観測船「宗谷」で南極へ出向き、犬ぞり用の犬として1年以上に渡る南極生活を送る。しかし、1958年2月、第2次越冬隊と引継ぎ交代するはずだったが、長期にわたる悪天候の為に南極への上陸・越冬を断念。その撤退の過程で樺太犬15頭(病気帰国、病死、行方不明、妊娠中の7頭除く)は無念にも無人の昭和基地に置き去りに。極寒の地に餌もなく残された15頭の犬の運命、犬係の二人の越冬隊員の苦悩、そして1年後に再び志願してやってきた隊員の両者が、南極でタロとジロと再会する…
『六月二十四日午後十時二十分頃、熊本県阿蘇郡阿蘇国立公園内中岳第一火口が、突如大爆発を起こし、阿蘇山上ロープウェー火口駅で作業中の人のうち十二人が死亡、重症六、軽傷二十二、行方不明一の死傷者をだすという惨事を起こした。 阿蘇山で一度に四十一人の被害者を出すという爆発は、今度がはじめて。降灰、爆風と共に降りしきる火山弾は火口駅の鉄筋二階建ての屋根に、直系五十センチ大の大穴を、ハチの巣のようにあけたほどの物凄いもので、夜間であったため登山客がなく、更に数多くの死傷者をださなかったことは、せめてもの幸いであった。 尚、今回の爆発は昭和八年以来の大規模な噴火ともいわれている。』以上本文より。
初土俵は、46年11月場所。入門時は76キロで、最高時でも105キロ。ソップ(やせた)力士の典型だったが、北海道室蘭で経験した幼少期からの重労働で鍛えた足腰を武器に、豪快な上手投げや呼び戻しの大技でファンを熱狂させた。56年の夏場所で初優勝。長男がちゃんこ鍋の熱湯をかぶり死亡する悲運も乗り越え、58年初場所後に第45代横綱へ昇進した。戦後、最軽量の横綱だった。
【国鉄4-2巨人、国鉄4-3巨人】オープン戦で7本塁打を放ったゴールデンルーキー、巨人・長嶋茂雄三塁手が4月5日の後楽園での開幕戦、国鉄1回戦で金田正一投手から4打席4三振を喫した。これ以上ないプロの洗礼を浴びた長嶋だが、そのショックは思いのほか大きかった。
1958年にアメリカで大流行したことを受けて、同年10月18日に東京都の各デパートで一斉に販売が開始された。積水化学のポリエチレン管をアメリカの会社が加工して輸入したもので、価格は大人向けが270円で子供向けが200円。日産2万本のフラフープは、1ヶ月で80万本が売れた。販売される店には行列ができ、日本中で爆発的に売れて一大ブームを起こした。
『週刊朝日』誌上に「団地族」という言葉が登場。流行語に
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【昭和レトロ】いい時代だったな~好景気だった『昭和時代』のまとめ