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台湾全土に君が代が流れた 覚えておきたい「二・二八事件」

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歴史

■かつて日本が統治していた台湾

19世紀末、日本は日清戦争に勝利し、台湾の統治権を得ました。これ以後約50年間、台湾は日本の植民地となりました。

旧台湾総督府(現中華民国総統府)

児玉総督・後藤新平民政長官の時期には、台湾のインフラ整備(土地調査、鉄道敷設、港湾建設)、製糖業の振興、専売事業の確立、医療・衛生・都市政策の開始。

いわゆる「文明的植民政策」(後藤)、「資本主義の基礎工事」(矢内原忠雄)が展開されていき、台湾社会は近代に向けて大きく変貌していったのである。

烏山頭ダム(八田ダム)

日本人技術者の八田與一により策定され、嘉南平原の農業灌漑を主目的として建設された。

半世紀にわたった日本統治時代には、日本の教育制度が持ち込まれ、初等教育を中心に国語としての日本語教育が行われた。初等教育の就学率は、日本統治時代終了直前には70%超にまで達したという。

■敗戦とともに中国国民党政府が支配

共産党との内戦に敗残した国民党は、蒋介石ら多くの政治家、官僚、軍隊が台湾に逃れ、台北を臨時首都とし、中華民国の政権を形成。

台湾を訪問した蒋介石(初代中華民国総統)

台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。だが、行政公所の要職は新来の外省人が独占し、さらには公所と政府軍の腐敗が激しかった。

中国統治時代の台湾人は、「犬去りて、豚来たる(狗去豬來)」(意味:犬〔日本人〕はうるさくても役に立つが、豚〔中国人〕はただ貪り食うのみ)と揶揄していたとも言われています。

■大きな不満が、一つの事件をきっかけに爆発した「二・二八事件」

2.28事件は、闇タバコの密売人への暴力に端を発した台湾民衆の暴動事件で、背景には、当時、台湾を日本から接収した国民党の腐敗や無能さへの広範な不満があった。

二・二八事件

この事件をきっかけとし、民衆の中華民国への怒りが爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が市庁舎へ大挙して押しかけた。

■台湾全土に運動が広がり、君が代が流れた

台湾全土で激しい抗議行動が起きた。

日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を外省人と認めると暴行するなどの反抗手段を行った。

台湾住民の中には日本語が話せない部族もいたが、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、本省人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(外省人)を排除しつつ行進した。

【本省人】
第2次世界大戦前より台湾に居住する台湾人。第2次世界大戦後に台湾に移住した大陸人 (外省人) と区別するために用いられ,つい最近まで台湾の住民登録で本籍欄で示されていた。

■国民党側の反撃、そして虐殺

国民党政府は武力により徹底的に鎮圧し、裁判官・医師・役人をはじめ、日本統治下で高等教育を受けたエリート層の多数が逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。

二・二八記念館

この事件によって、約28,000人もの本省人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。実際の被害者の数はさらに多いとの説が今尚根強く存在。

■長く隠されてきた真実

国民党政権は知識層を中心とした弾圧事件を相次いで起こし、次第に恐怖独裁的な政権となっていき、世界でも類を見ない40年以上続くことになる戒厳令が布告。

国民党政府により1949年から1987年まで38年間にわたる戒厳令が敷かれ、この間に数多くの人々がいわれなき罪で逮捕・拘禁・拷問・銃殺された。

事件当時の証言や告発をする動きもみられるようになり、政府に対する反逆として定義されていた二・二八事件も、現在は自由と民主主義を求める国民的な抵抗運動として公式に再評価されるに至った。

▼外部リンク 出典元

台湾全土に君が代が流れた 覚えておきたい「二・二八事件」



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