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東大赤門のルーツ、加賀百万石前田家の大名屋敷がすごすぎた

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歴史

「加賀百万石」と言われた大大名・前田家

前田利家

織田信長によって能登1国を与えられていた藩祖前田利家が、豊臣秀吉に降って加賀2郡、さらに佐々成政と戦った功績によって嫡子利長に越中西三郡が与えられて、3国にまたがり100万石を領する前田家領の原形が形成された

東大赤門は前田家の大名屋敷の門だった

東大赤門

東大の赤門が前田家上屋敷の正門そのものであった

827年(文政10)加賀藩13代藩主前田斉泰は、11代将軍徳川家斉の娘溶姫(やすひめ)を正室に迎えるに当たり、慣例にしたがい、朱塗りの門を創建した

ちなみに、徳川家斉は53人も子供を作ったとして有名な将軍。成人できたのは28人だが、多すぎて幕府が財政危機になるので、世継ぎ以外の男は養子に、女は外へ嫁がせた。

つまり、現在の東大は江戸時代、前田家の大名屋敷だった

大名たちは参勤交代制の確立に伴って、幕府から江戸市中に土地を拝領し、大名屋敷を造営するようになりました

現在の本郷キャンパスの敷地はかつて加賀藩前田家の上屋敷(大名屋敷)でした

赤門は1877年(明治10)東京大学に移管され、1961年(昭和36)に解体修理、現在は国の重要文化財に指定されている

・なんと敷地は東京ドーム7.3個分もあった!

加賀前田家の本郷上屋敷は約10万4千坪(東京ドーム7.3個分)

とにかく大名屋敷は広大で入り口(正門)を 探すのにも大変だった

東大の本郷キャンパスには、三四郎池があります。もともとここは加賀前田藩邸内の庭園で心字池と呼ばれていたもの

夏目漱石の小説『三四郎』に描かれてからというもの、その名をとって三四郎池と呼ばれて親しまれています

・そして、さらにとんでもなく広い別邸が板橋にあった

下屋敷絵図

屋敷の敷地内に石神井川が流れていた

板橋区にある「加賀公園」。この公園はその昔「加賀藩前田家下屋敷」があった場所の一角にあります

下屋敷とは別邸のこと

「下屋敷」の敷地は約22万坪あったそうです。今の「明治神宮」と同じ広大な敷地でした

この板橋の下屋敷はなんと東京ドームの15倍!

土地名として「加賀」が残っているし(金沢小学校もあります)、金沢と友好都市だし、板橋区には今も前田家の名残が多くあります

・駒場にも別邸があり、それが東大の駒場キャンパスとなった

前田家の下屋敷は、ちょっと離れて目黒区駒場。こちらは、東京大学駒場キャンパスがあります

こちらの敷地は東京ドーム4つ分

加賀藩と東大はよっぽど結びつきが深いのですね

▼外部リンク 出典元

東大赤門のルーツ、加賀百万石前田家の大名屋敷がすごすぎた



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