歴史
鳩山由紀夫さんが、西大門刑務所の跡地を訪問…
韓国を訪問している鳩山由紀夫元首相は12日、ソウル市内にある西大門刑務所歴史館(旧刑務所跡)を訪れた。同所は日本による植民地時代に抗日独立運動家らが投獄されていた場所で、鳩山氏は独立運動家への拷問など過酷な行為を行ったことについて謝罪した。・西大門刑務所を訪れた日本の首相経験者は、2001年10月15日に訪問した小泉純一郎元首相(自民党)以来という事らしいです。これだけ有名な「負の遺産」なのに、意外にも日本の首相経験者はこの場所について関心が薄いみたいです。
10代の女子学生だった柳寛順さんも、95年前にこの地で拷問を受け、お亡くなりになった。あれから95年、天国にいる柳さんは鳩山元首相の訪問をどう受け止めたのだろうか…
鳩山氏はまず柳寛順(ユ・グァンスン)烈士が収監された女性獄舎を訪れて関連する説明を聞いたあと、女性獄舎の8号監房で献花・柳寛順さんについては、歴史の教科書などで一度は学んだ事があるとは思いますが、彼女がお亡くなりになったのもこの刑務所です。
独立運動家らをしのぶ記念碑の前では靴を脱いでひざまずき、手を合わせて冥福を祈った。
この刑務所に収監され、拷問の末にお亡くなりになった独立活動家の数は意外と多い。鳩山元首相は追悼碑に献花し、謝罪の言葉を口にしたという
鳩山氏は西大門刑務所の歴史的意義に関する説明を受け、殉国烈士追悼碑に献花し追悼辞も朗読した。・獄死した独立運動家の名前が刻まれた追悼碑があることは有名です。今回の訪問では、鳩山さんもこの追悼碑に献花したということです。
記者会見を行い、「独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与えて命を奪ったと聞いた」とした上で、「心から申し訳なく思っている」と謝罪した。・韓国国民は、今回の鳩山元首相の「謝罪」をどのように感じたのだろうか…様々な思いの人がいることは事実だろう。
鳩山元首相が訪問した「西大門刑務所」って、どんな歴史を背負った場所なのだろう?
・朝鮮の独立運動に対する、旧大日本帝国政府の弾圧を象徴する刑務所でもあった
跡地は、現在「西大門刑務所歴史館(서대문형무소역사관)」となっている。目を背けたくなる展示もあるが、過去の悲しい歴史を今に伝える貴重な博物館でもある。この場所は、悲しい歴史を背負ってる…
・現地で展示されている「再現」内容は、あまりにも残酷すぎて言葉にならないほどです…。
帝国主義・日本が大韓帝国の軍隊を強制的に解散させた1907年。この地の人々の抵抗を恐れた統監府は「思想犯の指導に主眼を置いた近代的な監獄を着工・その後、1910年に朝鮮半島は日本に併合され、36年間の植民地支配下に置かれることになる…。
1908年、植民地時代に「京城監獄」の名称で建てられた西大門刑務所は、日本による植民地支配から独立した1945年まで、抗日独立運動家が投獄されていた場所
日本による植民地支配下当時、多くの独立活動家らが、この地で激しい拷問や弾圧を受け、犠牲となっている
日本の植民地支配に反対してたたかった独立運動家が弾圧、拷問、処刑された
戦前、「西大門」といえば抗日独立運動に対する日本政府の弾圧を象徴する地名でもありました。・「弾圧」の象徴的な地名となってしまうほど、インパクトが大きい収容所だったということがいえるのだろう。
・この刑務所では独立活動家らが、激しい拷問の末に死亡している
西大門刑務所に投獄され亡くなった人々の名前が刻まれた追悼碑。数多くの方々が弾圧や拷問によってお亡くなりになっている
当時の日本は、独立運動家の気概を破るため、残酷な拷問を行った。爪の間に竹でできた釘を打ったり、釘を打った板に寝かせたり、焼きごてで囚人の肌を焼いたりするなどといった拷問の方法は、およそ72あった。・悲しすぎる…日本人として、こうした歴史があったことは非常に悲しく思うし、直視していかなければならない歴史だといえるでしょう。
独房に入れられた囚人が光を見ることができたのは労働の時間だけでした。・過酷な強制労働などもあったといわれています。
のべ数万人の独立運動家が投獄され、四百―四千人が獄死。・日本と韓国との間で、このような悲しすぎる歴史もあった…
「夏には囚人の呼吸と汗から出る蒸気で互いの顔を見分けられない。冬には監房に20人がいれば布団4枚を配るが、あごの下から膝の下までしかかけられないため、靴下を履いていない足と膝はほとんどの場合、しもやけになってしまう。耳と鼻は凍るというきわめて残酷なものであり、指や足指が腫れて障害者になった囚人も何人か見た」・収監された独立運動家、金九さんの証言より。
・この刑務所でお亡くなりになった独立活動家の中には、まだ10代の少女もいた
「3・1独立運動」で重要な役割を果たしたことで知られる柳寛順さんも、この刑務所で拷問を受け死亡している
地下獄舎は独立運動家の中でも特に影響力のあった人だけを収容し激しい拷問を加えていた場所で、女性の独立運動家柳寛順(ユ・グァンスン)が亡くなった場所
柳寛順烈士は三・一運動に関連して日帝から処罰を受けた人の中で最も重い刑を受けた。・「3・1独立運動」で重要な役割を果たした柳寛順さんは、当時まだ10代だった。
「柳寛順窟」と呼ばれる地下獄舎。女性の独立運動家らは、狭い地下独房で管理され、過酷な拷問が行われた。
「爪が取れ、私の鼻と耳が切られ、手足のすべてが折れたとしても、その苦痛は忘れることができます。しかし、祖国を失ったその悲しみだけはとうてい忘れることができません。国に捧げることのできる命が一つしかないことがこの少女の唯一の悲しみです」。柳寛順烈士が書いた遺書の一部だ。・柳寛順さんは、激しい拷問を受けながらも、このような言葉を遺してお亡くなりになった。2015年は、彼女がお亡くなりになってから95年目の節目となる。
▼外部リンク 出典元
【韓国】鳩山元首相が西大門刑務所を訪問…この地で起きた、独立活動家への弾圧の歴史についてまとめてみた