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シーボルトのドイツの子孫宅に地図があった!幕府没収前に筆写したワルだったw

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歴史

■シーボルトはドイツに日本地図を持って帰っていた!

江戸時代後期、来日中のドイツ人医師シーボルト(1796~1866年)が禁制の地図などを持ち出そうとした「シーボルト事件」で、幕府に没収された地図の写しとみられる地図が7日までに、ドイツの子孫宅で見つかった。

■シーボルト事件とは

シーボルトは長崎滞在中、文政9年(1827年)にオランダ商館長に付添い江戸を訪問している。

半年若の江戸滞在期間に精力的に幕府役人や民間人と接触し、特に幕府天文方高橋景保と交流を深め、日本地図や蝦夷地の地図を入手する。

高橋景保監修、永田善吉の銅板による日本辺界略図、世界地図が並べて印刷されており、冒頭に景保の序文(文化6年、1809年)がある (国立公文書館蔵)

やがて事が発覚してシーボルトは文政12年(1829年)国外追放となり、一方の高橋景保は獄死、且多くの関係者が処罰される事になる。

出典www.ne.jp

高橋景保の墓

シーボルトに渡った地図は、幕府の手入れで流出を事前に防ぎ回収された事になっている。

■調査の結果

調査した国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の青山宏夫副館長(歴史地理学)によると、シーボルトは事件発覚前に地図を描き写していたと推測され、発見されたのは、それを基に作成された地図という。

地図は本州の西半分と四国、九州が1枚に描かれ、アルファベットの地名や河川の他、緯度や経度も書かれ、欄外には「DAINIPPON」などの文字もある。

縮尺やサイズ、表記などから、伊能忠敬が作成し、現在国立国会図書館が所蔵する「カナ書き伊能特別小図」(3図構成)の「西日本」が基になっていると断定した。子孫の家から、この「西日本」の地図が他に4枚見つかったという。

青山副館長は「持ち出そうとした地図の種類など、長年推測だったことが別の史料からも裏付けられた。5枚の地図は少しずつ違っており、シーボルトの日本に対する関心の強さや、地図へのこだわりがうかがえる」と話している。

12日から国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で始まる企画展で公開される。

▼外部リンク 出典元

シーボルトのドイツの子孫宅に地図があった!幕府没収前に筆写したワルだったw



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