歴史
ロシア革命は、社会主義革命であると説明されることがあるが、ユダヤ人解放運動の一面を持っていた
1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。
ロシア革命の意義
300年に渡るロマノフ朝の専制政治を終焉させ、世界初の社会主義政権を 打ち立てたロシア革命というのが教科書的な説明だ。
ユダヤ人解放運動としてのロシア革命という見方も在る。実は、ロシア帝政時代、迫害の対象だったユダヤ人が台頭し、政権を奪い取ったというのもまたもう一つのストーリーなのだ。実はロシア革命は社会主義革命であると同時に、民族解放運動でもあったのである。
帝政時代のユダヤ人迫害
ロシア帝政末期のポグロム:ユダヤ人迫害 – NAVER まとめ
ロシア帝政時代、とくにその末期において、強烈なユダヤ人迫害が行われていた。これは日本の歴史教科書にはかかれないもうひとつの歴史である。
帝政ロシアには広大なユダヤ人強制居住地域が設定されていた。
実は、この時代、ユダヤ人の強制居住地域が定められ、ユダヤ人はロシア政府による人種隔離政策の対象とされていた。現在のウクライナからポーランドにわたるこの地域は、ロシア時代~ナチスドイツ支配の時代を経て、ソビエト時代までユダヤ人問題の顕著な地域である。
この地域のユダヤ人人工比率は1割~2割であり、都市の中にはゲットーとよばれる、隔離領域があった。
というわけで、ロシア革命時のユダヤ人の分布はこのようになっていた。
ソビエト政府のユダヤ人
1%未満の人口比率、そして迫害の対象となっていたことを考えれば、明らかに顕著なユダヤ人比率。
ロシア革命の結果、ロシア人支配のロマノフ王朝から、ユダヤ人支配のソビエト連邦へ移行した。まったく別の民族による国家だと考えられる。
Russian President Vladimir Putin: First Soviet government was mostly Jewish
プーチン大統領は、少なくとも最初のソビエト政府の80%以上のメンバーがユダヤ人であったと述べた。
閣僚だけでなく、共産党政府全体が、事実上ユダヤ人の政府となっていた。指導者層の大半をユダヤ人が占めていたのだ。
ロシア人でも、ウクライナ人やリトアニア人などのほかの土着の民族でもなく、国を持たないユダヤ人による「革命」それは別の観点からみれば「反乱」でしかなかったのかもしれない。
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ロシア革命に資金支援を行ったアメリカのユダヤ人ジェイコブ・シフは、一方で日露戦争を始めようとした日本を支援し、日露戦争を勃発させた。
1917年にレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供してロシア革命を支援した。
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