歴史
ソ連を攻撃するドイツ軍
バルバロッサ作戦の失敗でソ連に攻め込んだドイツ軍ですが、レニングラードもモスクアも占領できないままに、スターリングラードに標的を変更します。
1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日の,ドイツ軍東部戦線配備兵力。兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機。対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。
1941年から1942年にかけての冬の寒波の中,モスクワ手前で,ソ連赤軍の反抗を受け,ドイツ軍は壊滅的な打撃を受けます。
目標とした、モスクワ・レニングラードは陥落せず、ドイツ軍はボルガ川による軍需物資の補給路を遮断しようとして、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)に兵力を集め攻撃
「ブラウ作戦」の発動
1941-42年のソ連軍冬季攻勢を持ちこたえたドイツ軍は,戦力を整え,1942年4月,南方軍集団に主力を配備し,スターリングラード,カフカスを攻撃する「ブラウ」作戦を立案した。
モスクワよりもずっと南、カフカス地方とヴォルガ河にいたる南部ロシアを征服しようとの決意を固めた。東部における最終的勝利を目指したこの大攻勢は、ブラウ作戦と命名された。
スターリングラードは、モスク亜の南方に位置しており、黒海に近い場所にある交通の要所です。
スターリングラードは、石油を満載したタンカーの重要な中継基地であるばかりでなく、鉄道輸送の一大中継基地にもあたっていたのである。言わば、水陸での大補給基地であった。
カスピ海からの海運をになうヴォルガ川において、スターリングラード周辺地域はきわめて重要であることは間違いない。
ドイツはモスクワ、レニングラードを占領することができず1942年6月から始まった史上最大の市街戦と呼ばれるスターリングラード攻防戦によってドイツ軍は壊滅状態ともいえるほどの大敗北
1942年にドイツが攻撃を始めた頃は、スターリングラードは、すぐに陥落するものとされていました。
スターリングラードに対するドイツ軍の進撃
ドイツ軍の猛烈な空爆によって、スターリングラードの市街地はボロボロの状態になりました。
第4航空軍司令官ファン・リヒトフォーヘン大将の隷下の第8航空航空軍団マルチン・フィービフ中将の下には,第2急降下爆撃航空団があり,スターリングラード近くのカルポフカに基地を持っていた。
1942年10月2日,上空から見たドイツ空軍機に空襲されたスターリングラード市街
スターリングラードは、ドイツ軍の空軍機に空襲されて町全体が廃墟となっていました。
ドイツ軍がスターリングラードに到着するのと前後して、スターリングラードは、昼夜問わずに空爆が行われました。
その兵力は実に5個軍、89個師団にも相当するもので、兵員数で言えば、120万、火砲1万、戦車4千両、航空機3千機にもなり、これは、東部戦線に展開していた全ドイツ軍の70パーセント以上
市攻略の主力を担う第6軍司令部には戦勝気分がみなぎり、あるドイツ兵は便りに「スターリングラードは2、3日で陥落するでしょう」と書いている。しかし、早期攻略どころか、戦闘は激しくなる一方であった。
1942年夏,ドン川=スターリングラードを進撃する3.7センチ砲装備のⅢ号戦車Sd.Kfz.141
大型砲塔があるが、細い3.7センチ砲を装備しており、攻撃力は小さなものであった事が想像できます。
3.7センチ対戦車砲では,重装甲のT-34戦車を貫通することはできず,「対戦車砲」は自嘲気味に「聴診器」と呼ばれた。
ドイツ軍は、市街戦になると思っておらず、ドイツ陸軍の戦車部隊などが配置されました。
ドイツ軍の戦車は,決して強力な攻撃力・防御力を持っていたわけではない。戦車の集団用法,強力な砲兵部隊と地上支援空軍を組み合わせた電撃によって大きな戦果を収めた
スターリングラードの市街戦
ソ連の兵士たちは、冬に白い服装を着用して、建物の上から狙撃を行いました。
前から後ろからなど、どこから銃撃されるか分からないような状況が続いていました。
どこに敵がいるか分からないような状況で、兵士の戦いが繰り広げられました。
▼外部リンク 出典元
史上最大の市街戦!スターリングラードの戦い【第二次世界大戦】