Quantcast
Channel: The history 歴史
Viewing all articles
Browse latest Browse all 219

【株価急落の歴史】1953年のスターリン・ショックで日本株が暴落した理由まとめ

$
0
0

歴史

社会主義国の情勢も株価に影響が!

1950年代のはじめ、朝鮮特需で好景気だった日本。

スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認し、同時にソ連軍の軍事顧問団が南侵計画である「先制打撃計画」を立案した。

・こうして、ソ連とアメリカの代理戦争としての朝鮮戦争が始まってしまう。

戦前水準への回帰は、図らずも朝鮮特需(1950年)がきっかけとなった。すなわち、日本の産業界はアメリカ軍から毛布、トラック、鋼材などの戦地用資材の大量の発注が舞い込み、輸出も急拡大した。日本経済は、鉱工業生産指数、実質個人消費、民間投資が51年、実質国民総生産、実質賃金(製造業)が52年に戦前水準(35年レベル)に回帰

・朝鮮特需後の1956年には「もはや戦後ではない」という有名な言葉も登場する。

朝鮮特需で株価が上昇するが、実体経済では一部分のみが潤っていただけとの指摘もある

1952年、東証の平均株価が一年で2倍以上に暴騰し、バブル経済の様相となる

・実体経済のみならず株価も上昇し、今では考えられない「1年で株価2倍」が実現した時期でもある。

しかしこの特需で真に潤ったのは一部財界のみで、この当時はまだ特需の利益が労働者にまで還元されてはいなかった様子もうかがえ、当時の日本国民に於ける1日摂取カロリー量は、特需の期間中でも伸びは余り芳しくない。

・軍事産業が潤い、それによって株価も上昇したが、一方で、一般の市民の生活の向上に直接結びついたとはいえない現状もあった。

そうした朝鮮半島情勢の中、1953年にスターリンさんがお亡くなりになる

ソ連を支配してきたスターリン首相が重体と報じられて、昭和28年3月5日に起こった株価暴落のことです。 これによって日経平均株価は、37円80銭安の344円41銭(前日比)と10%もの下げになり、市場は混乱に陥りました。

・3月4日にスターリンさんの重体のニュースが伝わり、翌5日の朝刊でスターリンさんがお亡くなりになったという報道があった。

社会主義国の人で、株式市場と縁が無いはずのスターリンさん。しかし彼の死去は日本株の暴落を招くことになった。

Photo by Photos.com / Photos.com

社会主義国の人で、株式市場と縁が無いはずのスターリンさん。しかし彼の死去は日本株の暴落を招くことになった。

スターリン・ショック以後、株投資ブームが終焉し、バブルが崩壊。

3月に著しい暴落を経験後、4月に一旦株価が上昇するが5月に入って再び株価が下落傾向になっていることがわかる。

3月5日の暴落をきっかけに日本では株投資ブームが終わり、株価は徐々に低迷し始めた。1953年3月30日には戦後8番目の下落率6.73%を記録し318円96銭をつけ、1953年4月には295円まで株価を下げた。1953年4月16日には戦後7番目の6.41%の上昇率を記録し355円03銭まで値を戻したが、1953年5月21日 – 6月3日には12営業日連続で株価が続落した。

・スターリンさんの死去後、2ヶ月経過してから再び、株価続落の時期が訪れた。

▼外部リンク 出典元

【株価急落の歴史】1953年のスターリン・ショックで日本株が暴落した理由まとめ



Viewing all articles
Browse latest Browse all 219

Trending Articles