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混浴が当たり前! 江戸の”お風呂”事情

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歴史

▼ 家に風呂は無かった

町人や商人の家に風呂はなく、みんな銭湯に行きました。江戸一番の呉服屋「越後屋」でさえ風呂はなかったそうです。

お金持ちの商人も銭湯に通うのが一般的だった。

江戸では火事が多かったため 内風呂が規制され 相当な規模の商人でも内風呂のある家は
なかったようです

▼ 1591年に江戸に湯屋(ゆうや)が出来る

、天正十九年(1591)に 江戸の銭瓶橋(ぜにかめばし)に湯屋の第一号が開業しました。 しかし、この頃の湯屋は蒸し風呂でした。

風呂というよりサウナに近い感じでしょう。

今の東京都千代田区に湯屋の第一号店が開業

▼ 「戸棚風呂」が浸透

湯浴と蒸気浴の中間のような入浴法

下半身を湯に浸しながら、上半身を蒸す風呂です。

戸を閉め、中で温まり垢が浮いたところで洗い場に出て体を洗います。

▼ 湯に浸かるスタイルに!

宝永の頃から湯漕にお湯を入れて体を浸かるに変化していった

宝永は1704年から始まります。
この頃から私達が想像する「風呂」に。

洗い場と湯船を仕切る「石榴(ざくろ)口」

湯が冷めるのを防ぐための工夫。通るには身をかがめる必要があった。

中は湯気がもうもうと立ちこめ、暗く、湯の清濁さえわからないようにして、また石榴口に細工をほどこし、客がいちど使った湯をふたたび浴槽にいれたという。

コストを抑えるための悪知恵ってやつでしょう。綺麗というわけではなかったようです。

▼ 湯屋は混浴が一般的だった!

江戸の銭湯は[入(い)り込(こ)み湯」といわれ、当初より男女混浴です。これは、江戸末期まで続きました。

風紀の乱れが原因で何度か禁止令も…

しかし、男女別々の浴槽を設置するのは経済的に困難だったために中々定着しなかったようです。

本格的に男女別々になったのは明治時代になってからです。

▼ 湯女(ゆな)と呼ばれる女性達

江戸時代初期の都市において、銭湯で垢すりや髪すきのサービスを提供した女性である。

しかしこの湯女が問題に…

流しから髪結い、衣服の面倒、それ以上の“お世話”までする、湯屋には欠くべからざる存在となりました。

風俗業に変化していったということですね。全盛期には有名な吉原の遊郭が寂れるほどの賑わいだったそうです。

元禄16年(1703)江戸をおそった震災が引き金になって、湯女風呂は自然消滅します。

それ以前にも風紀上の問題から幕府からたびたび禁止令を出されてましたが、殆ど効果は無かったそうです。

▼外部リンク 出典元

混浴が当たり前! 江戸の”お風呂”事情



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